青森ヒバを知る ① 青森ヒバとは — 300年の森が育てる、地域固有の銘木
学名は Thujopsis dolabrata var. hondae Makino。シーボルトから本多静六・牧野富太郎へと受け継がれた命名史と、津軽・下北の森が200年かけて一本を育てるまでを辿ります。
「青森ヒバ」と聞いて、ヒノキやスギを思い浮かべる方は多いかもしれません。けれども、ヒバはそのどちらでもありません。世界でも日本列島にしか自生せず、その大半が津軽・下北のふたつの半島に集まっている、文字どおりの 地域固有種 です。シリーズ第1回は、まず青森ヒバが何の木で、どこで、どう育つのかを辿ります。
ヒノキ科アスナロ属という位置
青森ヒバは、植物分類上は ヒノキ科アスナロ属(Cupressaceae, Thujopsis) の常緑針葉樹。ヒノキ・サワラ・ネズコと同じ仲間ですが、属が違うため厳密にはヒノキそのものではありません。日本列島にはアスナロ属に アスナロ(南方型) と ヒノキアスナロ(北方型) の2系統があり、市場で「青森ヒバ」と呼ばれるのは後者です。
学名は Thujopsis dolabrata Siebold et Zuccarini var. hondae Makino。属名 Thujopsis は古代ギリシャ語の thuia(香り・供物)に opsis(似ている)を重ねた「香木に似たもの」、種小名 dolabrata はラテン語の dolabra(手斧)に由来し、鱗状の葉が斧の刃に似ていることを表しています。最後の変種名 hondae は、後で出てくる林学者・本多静六への献名です。
シーボルトから本多静六・牧野富太郎へ
ヒバが世界の学術文献に初めて登場するのは、江戸時代まで遡ります。
- 1781年 リンネの弟子ツュンベリーが長崎・江戸を訪れ、桂川甫周・中川淳庵らがアスナロを伝える。
- 1842年 シーボルトとツッカリーニが共著『日本植物誌(Flora Japonica)』で、箱根産アスナロを Thujopsis dolabrata として正式に学名命名。
- 1901年(明治34) 日本初の林学博士・本多静六 が青森県産のアスナロを採取・観察し、葉や球果が箱根産とは明らかに異なることを発見。
- 同時期、植物分類学の 牧野富太郎 がこの差を変種として独立させ、本多にちなんで var. hondae(ホンダエ) と命名。
つまり「ヒノキアスナロ=青森ヒバ」という概念は、近代日本植物学を切り拓いた二人の手によって、北方型と南方型がはっきり分けられたところから始まっています。後年、本多は鉄道防雪林や日比谷公園を手がけ、牧野は『牧野日本植物図鑑』を残しました。青森ヒバは、その仕事の系譜の上に立つ木でもあります。
北方型は、津軽・下北に集中する
ヒバ属は北海道厚沢部(北緯約42度)を北限、栃木県日光・湯ノ湖(北緯約36度)を南限としますが、量的には極端に北寄りに偏っています。林野庁東北森林管理局の現行データでは、国有林ヒバ蓄積 約1,561万m³ のうち、約1,271万m³(およそ8割)が青森県内 に集中。下北・津軽の冷涼で湿った気候と、ポドゾル化と呼ばれる強酸性土壌が、他の樹種を寄せつけずヒバ林を育ててきました。
青森森林管理署の管内では、樹種別蓄積でスギ28%・ヒバ25%・ブナ19%という構成。ほぼスギと並ぶ存在感ですが、スギとの決定的な違いは次節に書く「育て方」にあります。
200年で一本、植林ができない木
スギやヒノキは人手で苗を植えて育てる人工林が中心ですが、青森ヒバは植林がきわめて難しく、ほとんどが 天然更新(natural regeneration) によって維持されています。これは、林の中に自然に落ちた種が、母樹のつくる光環境のもとで稚樹となり、長い時間をかけて次世代に置き換わっていく仕組み。国有林の施業も、皆伐ではなく一部だけを抜く 択伐天然更新 が基本です。
そして、伐採時の樹齢は およそ200年前後。樹齢300年を超える個体はまれで、私たちが手にする一枚のまな板の木は、明治より前、藩政時代から立っていた可能性が高いということになります。雪の重みで開花期が2月にずれ込むほど厳しい冬を、何度も越えてきた個体です。
「アテヒ」と呼ばれた木
青森営林局(現・林野庁東北森林管理局青森森林管理署)の長年の解説には、ヒバはかつて 「アテヒ」 と呼ばれ、「高貴なヒノキ」を意味した、という記録が残っています。地方で一番優れた針葉樹を「ヒノキ」と総称する風習があり、北の地で最も格の高いヒノキ=アテヒ、と扱われていたという説です。
明日ヒノキになろうとして決してなれない木、というアスナロの文学的イメージとは別に、北の現場ではむしろヒノキの上位に置かれてきた。これが青森ヒバという木の素性であり、シリーズ第2回ではその「強さ」を、心材に宿る成分から具体的に見ていきます。
主な参考文献
- 内山康夫『青森ひば物語』北の街社, 1996
- 岡部敏弘・斎藤幸司・大友良光・工藤幸夫 編『青森ヒバの不思議』青森ヒバ研究会, 1990
- 林野庁東北森林管理局 青森森林管理署「国有林のあらまし」令和6年度版
- 牧野富太郎『牧野日本植物図鑑』北隆館