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青森ヒバを知る ③ なぜ青森ヒバを選ぶのか — 限られた森から、台所へ
Story · 2026.05.07

青森ヒバを知る ③ なぜ青森ヒバを選ぶのか — 限られた森から、台所へ

戦時には年間250万m³が伐り出された青森ヒバも、現在の出材量は約1万m³前後。植林ができない木をどう未来へ繋ぐか。歴史的建造物に支えられてきた素材を、今日の台所道具として選ぶ意味について。

シリーズ第1回では青森ヒバを「ヒノキでもスギでもない地域固有種」として、第2回では心材に宿るヒノキチオールという成分の発見史と試験データを見てきました。最終回は、この木をいま選ぶことの意味を、出材量・森づくり・歴史的な使われ方の3つの角度から考えます。

250万m³から1万m³へ — 出材量の100分の1

青森ヒバの伐採量は、戦後80年で大きく変化してきました。

時期年間出材量(青森ヒバ)
戦時中(昭和20頃)約250万m³(軍需材)
戦後復興期(昭和20年代後半)約50万m³
高度成長期(1960〜1980)30〜50万m³
1985年約23万m³
1990年代前半13〜20万m³
現在(2020年代)約1万m³ / 年

戦時のピークから見ると、現在の出材量は およそ100分の1以下。1985年からだけ見ても、わずか40年で20倍以上の絞り込みが行われてきたことになります。

これは資源が枯渇しているからではなく、林野庁東北森林管理局が 国有林ヒバ蓄積(約1,561万m³、うち青森県内約1,271万m³)を長期的に守るため、意図的に出材を抑えている 結果です。年間の自然な生育量はおよそ12.5万m³と試算されており、出材は十分その範囲内に収まっています。

植林ができない木、を未来へつなぐ

なぜここまで慎重なのか。シリーズ第1回でも触れましたが、青森ヒバは 植林がきわめて難しい木 だからです。

スギやヒノキは、林業の現場では「皆伐→植林→数十年で再生」というサイクルが基本です。けれども青森ヒバは、稚樹を育てるための光環境・土壌・母樹の組み合わせが繊細で、苗を植えて育てる方式が安定しない。ですから、国有林の施業は 択伐天然更新(一部だけ抜き、自然に落ちた種から次世代を育てる方式) を原則としてきました。

『青森ひば物語』の著者・内山康夫は、1996年の段階で次のように書いています。「豊富な蓄積量を天然更新によって維持しながら、恒久的に供給することができたものを、生長量を無視して伐ったヒバ林はその時点で天然更新を放棄したものとなり、永久に失ったことになる」。30年が経ったいま、この警告は青森森林管理署の現場運用に確かに反映されています。

私たちが手にする一枚の板の背景には、200年かけて育った個体と、それを残しながら森を回す慎重な施業の積み重ねがあります。

1000年が証明してきた、湿気と虫への強さ

希少なら他の木でもよいのでは — そう問われたとき、青森ヒバを選び続ける理由は 歴史的な実証 に尽きます。

  • 法隆寺(7世紀創建・世界最古の木造建築群)にヒノキとヒバが混在して使用。
  • 中尊寺金色堂(1124年建立)— 平泉の湿潤な土地で900年以上、現役の建材として残る。
  • 弘前城 の土台、岩木山神社楼門(1628年)の構造材 — 雪国の風雪に耐えて約400年。
  • 能登の輪島塗 — 平安期から「アテ」と呼ばれる青森ヒバを素地に使用、400年以上の継続使用
  • 現代でも、神社仏閣の建替・修復案件で青森ヒバが指定されるケースが多い。

これらの建造物に共通するのは、水・湿気・虫という木材にとっての3大敵にさらされる場所 であること。第2回で挙げた腐朽菌耐性・シロアリ耐性のデータは、こうした実物の蓄積を後から科学が裏付けたものとも言えます。

海外材ではなく、青森ヒバを使う理由

ヒノキチオールを含む樹種は青森ヒバだけではありません。北米の 米ヒバ(アラスカヒノキ)米スギ(ウェスタンレッドシダー) も同種の成分を持ち、輸入材として日本でも流通しています。

ただし、海外材と青森ヒバを並べたときに違うのは、

  • トレーサビリティ — 林野庁東北森林管理局という単一の管理主体のもとで、伐採から流通までの履歴が追える。
  • 管内の樹種別蓄積データが公開されている — 青森森林管理署管内ではヒバが25%(スギ28%、ブナ19%)と、地域経済の柱として位置づけられている。
  • 輸送距離が短い — 青森で伐り、青森で挽き、青森で仕上げる流通が成立する規模感。

地域の森と一緒に持続できる素材として選びたいとき、青森ヒバは数少ない選択肢のひとつです。

一枚のまな板に込めるもの

Hiba Kitchen は、青森の森と東京のキッチンを直結するために生まれたブランドです。

  • 設計・監修: 檜屋木材店/1952HINOKIYA 一級建築士事務所(青森県八戸市、1952年創業) 半世紀以上にわたって青森ヒバを扱ってきた木材店であり、ヒバ造の家を手がける一級建築士事務所。「ヒバ造の家に合う、ヒバ製のキッチン用品を」という発想が、このブランドの原点です。
  • 企画・製造・販売: クイックアップス株式会社(東京都港区南麻布) 「青森ヒバの魅力をもっと身近に届けたい」という思いから、地元青森での製造と東京からの発信を結びつけています。

製品設計では、

  • 200年かけて育つ資源を 無駄なく 使うため、心材を中心に板目と柾目を組み合わせた集成材を採用。
  • 軽さ・反りにくさ・歩留まりの3つを同時に満たす構成。
  • 仕上げは 無塗装・手加工 で、表面が荒れたらサンドペーパーで戻せる長い使用前提。

戦時の250万m³から現在の1万m³へ、ピーク時の100分の1まで絞られたヒバ材を使わせていただいているという感覚は、製品の一枚一枚に持っていたいと考えています。

おわりに

3回にわたって、青森ヒバが何の木で、なぜ他の木と違って、なぜいま選ぶ意味があるのかを書いてきました。

シーボルトと本多静六・牧野富太郎が学名を定め、野副鉄男が心材の中身を分子レベルで解き明かし、林野庁が森を残すために出材を絞り続けてきた。そしてその間ずっと、中尊寺金色堂や輪島塗の現場では、何の科学的説明も無くこの木が選ばれ続けてきた。

そのバトンの先で、私たちは毎日の台所に小さく一本を渡そうとしています。長く使い、必要なら直し、最後は燃やせる木として、ヒバが少しだけ、暮らしの近くに残っていけたらと願っています。


主な参考文献・出典

  • 内山康夫『青森ひば物語』北の街社, 1996
  • 岡部敏弘・斎藤幸司・大友良光・工藤幸夫 編『青森ヒバの不思議』青森ヒバ研究会, 1990
  • 林野庁東北森林管理局 青森森林管理署「国有林のあらまし」令和6年度版
  • 林野庁『令和7年度 森林・林業白書』および関連動態統計