「ヒノキアスナロ」という名前の由来 — シーボルトから牧野富太郎へ
学名 Thujopsis dolabrata var. hondae。シーボルトが日本から欧州に持ち帰り、牧野富太郎が献名した「ヒバ」の正式な名前には、3人の植物学者と斧の刃に似た鱗状の葉が登場します。
ヒバキッチンの豆知識シリーズ、第1回。今月は青森ヒバの「名前」のお話です。
商業的には「青森ヒバ」、地方によっては「アスナロ」「アテ」「ヒノキアスナロ」などと呼ばれるこの木の、植物学上の正式な名前を辿ってみます。
学名は Thujopsis dolabrata var. hondae
青森ヒバの学名は Thujopsis dolabrata Siebold et Zuccarini var. hondae Makino。少し長いですが、ひとつずつ見ていくと、3人の植物学者と1本の斧が登場する、ちょっとした物語になっています。
属名 Thujopsis(トゥヨプシス) は、古代ギリシャ語の thuia(香り・供物)に opsis(似ている)を重ねた合成語で、直訳すると「香木に似たもの」。古代ギリシャの神殿で焚かれた香木 thuia は、今でいうクロベ属(Thuja)にあたります。それに「似た木」という名前が、日本のヒバ科の属に当てられたわけです。
種小名 dolabrata(ドラブラタ) は、ラテン語の dolabra(手斧)に由来します。ヒバの葉は、よく見ると鱗のように重なった独特の形をしていて、その鱗片の一枚一枚が斧の刃のようにも見える。この命名は、葉のかたちを見たままに表現したもので、19世紀のヨーロッパの植物学者の観察眼が伝わってきます。
シーボルトとツッカリーニ
属名・種小名の命名者として記される Siebold et Zuccarini は、19世紀のドイツ・オランダで活躍した二人の科学者です。フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796–1866)はオランダ商館の医師として長崎に滞在し、日本の動植物を収集して欧州に持ち帰った人物として知られています。一方、ヨーゼフ・ゲアハルト・ツッカリーニ(1797–1848)はミュンヘン大学の植物学者で、シーボルトが持ち帰った標本を体系的に記載しました。
二人は共著で『Flora Japonica(日本植物誌)』を編んでおり、ヒバ(当時の標本上の名は「アスナロ」)もそのなかで欧州学界に紹介されました。属名と種小名は、1842年の記載に由来します。
「var. hondae」を加えた牧野富太郎
最後の var. hondae Makino は、青森・北海道に分布する北方型を、本州・四国南部に分布する標準型と区別するために、1901年に 牧野富太郎 が加えた変種名です。
「hondae」は、林学者・本多静六(1866–1952)への献名。本多は東京帝大農科大学の教授として日本の林業近代化に大きな足跡を残した人物で、青森ヒバの林相調査にも深く関わりました。日本の植物分類学の父と呼ばれる牧野が、林学のパイオニアであった本多に敬意を込めて変種名を捧げた——そんな科学者同士の関係が、ひとつの学名のなかに封じ込められています。
葉に残る古い形
ヒバの鱗のような葉は、近縁のヒノキ・サワラ・ネズコと比べても独特の存在感があります。原始的な針葉樹の形を比較的よく残しているとも言われ、その意味でも「生きた化石」的な趣のある木です。
商品としては「青森ヒバ まな板」「天然青森ヒバ精油」など、すっかり生活道具の名前として通っている呼び名ですが、その背後にはこんな命名の歴史が眠っています。次回からは、青森ヒバが「どこで」「どのように」育つのかを、もう少し詳しく辿っていきます。
— Hiba Kitchen