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1936年、ある若き化学者の発見 — ヒノキチオール命名の物語
豆知識 · 2025.05.15

1936年、ある若き化学者の発見 — ヒノキチオール命名の物語

戦時下の台北帝国大学で、軍命を受けた野副鉄男博士が台湾ヒノキ油から単離した不思議な分子。配管を腐食させる油の正体を追ううちに、有機化学の常識を塗り替える七員環構造に辿り着きました。

豆知識シリーズ、第11回。今月は、青森ヒバの代名詞ともなった ヒノキチオール という分子が、どのようにして発見されたのか、その物語です。

シリーズ第2回の記事『心材に宿るヒノキチオール』でも触れた話ですが、もう少し人物に寄り添って書いてみます。

戦時下の研究室

1936年(昭和11年)、当時 台北帝国大学 にいた化学者・野副鉄男(のぞえ・てつお)博士。東北帝国大学を出て台湾に渡り、応用化学の研究を進めていた若手研究者でした。

時代は満州事変の後、日中戦争の前夜。日本は石油資源の確保に苦慮しており、軍部は植物由来の代替燃料の研究を各大学に命じていました。野副博士に与えられたテーマは、台湾ヒノキ油を自動車燃料に転用する ための研究です。

台湾ヒノキは樹脂分を多く含み、油としては大量に取れる素材。これを精製してガソリン代替にしようというのが研究の目的でした。けれど、研究を進めるうちに、思わぬ問題が浮かびます。

配管が腐食する

台湾ヒノキ油を金属の蒸留装置に流すと、配管が異常な速さで腐食するという現象が観察されました。普通のテルペン系油では起きないこの腐食を引き起こしているのは、油の中の何かの成分です。野副は、この 腐食原因物質 を取り出して正体を突き止める、という方向に研究を方向転換していきます。

蒸留・分留・再結晶を繰り返し、配管腐食を引き起こす成分を 単離 することに成功。化学式は C₁₀H₁₂O₂、分子量164。野副はこれを「ヒノキの油から取れる、サイクル状の酸性物質」という意味で、ギリシャ語の thio(硫黄)から名前を借りて、ヒノキチオール(Hinokitiol) と命名しました。

ちなみに「チオール」という名前ですが、実際には硫黄を含まない化合物です。当時の命名段階での暫定的な呼び名がそのまま定着したという経緯があり、化学的にはやや誤解を招きやすい名前のまま現在に至っています。

七員芳香環という非常識

ヒノキチオールがその後、化学界に大きなインパクトを与えたのは、その 構造 にありました。後の解析で、ヒノキチオールは 七員芳香環(トロポン環)を含む芳香族化合物 であることが判明します。

当時の有機化学の常識では、芳香族化合物の環は 六員環(ベンゼン環)であることが大前提でした。七員環で芳香族性を示す化合物は、それまで自然界から見つかった例がほとんどなく、ヒノキチオールはその意味で 教科書を書き換える発見 となりました。

野副博士はその後、東北大学に移って研究を続け、トロポン化学・非ベンゼン系芳香族化合物の研究で世界的な評価を受けます。1951年に朝日賞(「ヒノキチオールの研究」)、1958年に文化勲章を受章。1972年勲一等瑞宝章、1979年日本学士院会員。1996年に逝去するまで、日本の有機化学を代表する人物の一人として活躍されました。

「ヒノキの名前を持つ、ヒバの分子」

ヒノキチオールという名前は、最初に台湾ヒノキ油から単離されたという、発見の経緯に由来します。けれども、その後の研究で明らかになったのは、日本のヒノキ(Chamaecyparis obtusa)には、この分子はほとんど含まれない という事実でした。

日本国内で安定供給できる樹種としては、青森ヒバ が代表格。台湾ヒノキは戦後の伐採制限でほぼ流通がなくなり、米ヒバや米杉にも微量含まれるものの、いずれも青森ヒバよりは少ない、というのが現状です。

つまり、「ヒノキの名を冠した、しかしヒノキ以外の特定樹種にだけ多く含まれる希少分子」というのが、ヒノキチオールという物質の不思議な立ち位置です。

一枚のまな板に宿るもの

ヒバキッチンの一枚のまな板にも、この分子は静かに含まれています。1936年の戦時下、ある若き化学者が見つけた七員環の不思議な化合物が、いま90年近く経って、毎日の台所の道具のなかで仕事を続けている——そんなふうに見ると、何気ない木の道具にも、ちょっとした歴史の厚みが感じられます。

次回は、この「ヒノキチオール」という名前の紛らわしさを、もう少し詳しく扱います。

— Hiba Kitchen