弘前城と岩木山神社 — 青森のヒバ建築を歩く
城下町弘前に残る弘前城・岩木山神社の楼門は、いずれもヒバ造の代表例。津軽藩の時代から続く、青森の地元の木で建てる流儀と、いま私たちが訪れて見られる場所をご紹介します。
豆知識シリーズ、第7回。今月は、青森県内に残る代表的な「ヒバ造の建築」を訪ねるお話です。
中尊寺金色堂のように県外で青森ヒバを使った例も多くありますが、本拠地である青森県内にも、ヒバ造の名建築がいくつも残っています。今月はそのうちふたつ、弘前城と岩木山神社をご紹介します。
弘前城 — 唯一現存する東北の城郭天守
青森県弘前市にある 弘前城 は、現存12天守のひとつ。慶長16年(1611年)に津軽信枚(のぶひら)によって五重の天守が築かれましたが、寛永4年(1627年)に落雷で焼失。今ある三重三階の天守は 文化7年(1810年) に再建されたもので、東北地方で唯一の現存天守として知られています。
200年以上が経った現在も天守として立ち続けている材料の中心は、地元では青森ヒバだと言い伝えられて きました。柱・梁といった構造材から、城の周囲に建ち並ぶ櫓(やぐら)や門に至るまでヒバが多用された、とされる説が一般的です。津軽藩は領内でヒバ材の伐採と管理を厳格に行い、城郭建築には地元産の最高材を当てる、という方針を貫いたとも伝えられており、城郭一帯のヒバ造説はこうした背景から語られてきたものです。
ちなみに弘前城は、2015年から 石垣修理のための天守曳屋(ひきや) が行われ、本来の天守台から仮の位置へと建物全体を移動させる大工事も経験しています。築200年以上の木造建築が、現代の技術で約70m移動して耐えるという驚くべき出来事でしたが、それを可能にした骨格の頑健さは、藩政期の津軽の建築技術の確かさを物語っています。
岩木山神社 — 楼門は寛永17年の建立
弘前市の南西、霊峰岩木山の南東麓に立つ 岩木山神社 は、約1200年前の創建と伝わる東北を代表する古社のひとつ。本殿・拝殿・楼門が国の重要文化財に指定されており、なかでも 楼門(ろうもん) はヒバ造の代表例として知られています。
楼門は 寛永5年(1628年)、津軽藩2代藩主・津軽信枚の発願により建立。五間三戸の二層構造で、屋根は入母屋造、銅板葺き。地元では青森ヒバ造の代表例として伝えられており、建立から約400年が経過した今も、当時の構造材の多くがそのまま残り、信仰の場としての役目を果たし続けています。
楼門の手前には、長い参道と杉並木が伸びていて、雪の積もる時期と新緑の時期とで、まったく違う表情を見せる場所。建築としての楼門だけでなく、その立地や周辺の山岳信仰の風景まで含めて、青森ヒバ建築を体感できる稀有な空間です。
「地元の木で、地元の建物を」
この二つの建築に共通しているのは、いずれも 津軽藩の時代 に、地元青森のヒバ材で建てられた と伝えられているということです。当時の津軽藩は、領内のヒバ林を「お留山(おとめやま)」として厳格に管理し、無断伐採を禁じる一方で、藩主や寺社が必要とする際には最良の材を切り出していました。
この「地元の木で、地元の建物を」という流儀は、青森県内に多くの民家・神社・寺社のヒバ建築を残しました。豪雪と海風の厳しい気候のなかで、化学処理がない時代に、長く立ち続ける建築を作るためには、素材選びそのものが最初の防御線だったわけです。
行ってみたい方へ
弘前城は、4月下旬から5月上旬にかけての桜の時期が圧倒的に有名ですが、雪化粧した冬の天守も、青森ヒバの白っぽい肌が雪に映えて美しい風景です。岩木山神社は、弘前駅から弘南バスで約40分。岩木山神社前バス停から徒歩すぐ。秋の紅葉、冬の雪景色も見応えがあります。
「青森ヒバ」という言葉を、台所だけでなく、城や神社の柱の表情としても感じていただける場所として、機会があればぜひ訪れていただきたい場所です。
— Hiba Kitchen