「アテ」と呼ばれた木 — 北陸・能登のもうひとつのヒバ
青森ではヒバ、北陸では「アテ」。同じヒノキアスナロが、地方によって違う名前で愛されてきました。能登のアテ材と、輪島塗の素地として400年使われ続けた歴史について。
豆知識シリーズ、第8回。今月は、青森県外で「ヒバ」が育てられ、使われ続けてきた、もうひとつの土地の話です。
「アテ」という名前を聞いたことがあるでしょうか。北陸、特に石川県の能登半島で、青森ヒバと同じ ヒノキアスナロ が古くからそう呼ばれてきました。今回は、北陸のもうひとつのヒバの物語です。
「アテ」とは何か
アテ は、能登地方の方言で「ヒバ」を指す呼称。語源には諸説あり、「強く頼りになる材」を意味する「当(あて)」だとも、「家を建てる時に当てになる木」だからだとも言われています。能登の山里で、家を建てる・道具を作るときに、最初に頼られた木がアテだった——そんな来歴が、名前のなかに残っています。
植物学的には、青森ヒバとほぼ同じ ヒノキアスナロ(Thujopsis dolabrata var. hondae) の系統です。能登半島の山地に天然分布し、雪の重み、海風、湿気の多い気候に耐えて育ってきました。1966年(昭和41年)には、石川県の 県木 にも指定されています。
能登でなぜ育ったか
能登半島は、日本海に突き出した半島で、冬は厳しい北西風と豪雪に晒される地形。土壌は粘土質で、栄養に富む場所ばかりではありません。ヒノキやスギにとっては必ずしも有利ではないこうした条件で、ヒバ系の樹種が比較的優位に育ってきました。
青森・能登の両者に共通するのは、いずれも 半島の冷涼で多雪な地域、土壌は決して肥沃ではなく、そこにヒノキ科の樹種がゆっくりと天然更新で育つ、という生態的条件です。地理的には離れていても、ヒバが好む山の条件は意外と似通っているということが分かります。
ただし、能登のアテは、青森ヒバに比べると 栽培品種 として人の手が入った歴史が長い、という違いがあります。江戸時代から「アテの木挿し(さしき)」という挿し木増殖が行われてきており、いわば人が選び育ててきた系統が定着しています。マダラアテ、クサアテ、カナアテといった品種名も伝わっており、自然林任せの青森ヒバとは、対照的な育てられ方をしてきた木でもあります。
輪島塗400年と素地のアテ
そして、能登のアテが日本中で名を知られるようになった最大の理由は、輪島塗(わじまぬり) の素地(きじ・地)として使われ続けてきたことです。
輪島塗は、石川県輪島市を中心に作られる漆器の伝統工芸。室町時代から続くと伝えられ、近世以降は 「素地はアテ、漆は地元・輪島産」 という組み合わせが定型として定着しました。およそ 400年 にわたって、アテ材が漆器の骨格を支え続けてきたわけです。
なぜアテだったのか。理由は青森ヒバが選ばれた理由とほぼ同じです。耐水性に優れる、反りが少なく狂いにくい、虫食いに強い、香りがよく漆との相性もよい。日々水気を扱う器の素地としては、これ以上ない条件をそろえていました。
特に「狂いにくい」という性質は、漆を何十回と塗り重ねていく漆器の製作工程で決定的に重要です。素地が反ったり割れたりしては、塗りが層になりません。ヒバ系の木材が持つ 乾燥後の寸法安定性 が、輪島塗の400年の歴史を支えてきたとも言えます。
青森と能登、ふたつのヒバ文化
青森のヒバは、「お留山」として藩が管理し、城・寺・神社の建材として使われてきました。能登のアテは、地元の人が挿し木で育て、漆器の素地として磨き上げてきました。同じヒノキアスナロという木が、土地の文化と結びついて違う使われ方をしてきた、その対照は、日本の木材文化の豊かさを示すものでもあります。
私たちの一枚のまな板も、こうした歴史の延長線上にあります。「青森ヒバ」という名前のなかには、能登のアテを愛してきた人々の400年も、隣にそっと寄り添っているのです。
— Hiba Kitchen